Say's Garden

真夜中の戯言 (ノンクリック推奨←NGMRさんの真似)


今宵は間接照明点して手酌酒。
ピッチとピックは寝てしまった。
静かな夜には、走馬灯のように思い出がよぎる。
決して楽では無かった。ここまで、色々とあったけれど。

今夜だって、楽しいお酒ではないはず。
だけど、それでも草の根にすがり付いている自分がいて、そんな自分を哀れに思う、自分もいて。
まったくもって、訳が分からないよ。どれが本当なのか。

悲しみにくれて、自虐的になったり、悲観的な文章を書いてみたり、同情を煽ったりしても、何の解決にもならない。
根本的に自分が変わろうとしなければ、何も変わらない。
この世は不平等だ。生物学的に見ても、人間だけが、一番不平等な世界に生まれ付いていると思う。
他の動物に、これほどまでの落差があるものか。
「人類皆平等だ」なんて、誰が言った。
だから何だ。泣いてしまえというのか。
不平等を強いているのは、何もせずに不満ばかり言う自分だ。
動きださねば、勝ちにいかなければ。

「隣人に感謝」

私の心には、溢れんばかりの慈愛と、他人を蹴落としてでも這い上がりたい悪魔の心が同居する。
しかし、私が本当に打ち負かしたいのは、昨日までの自分自身であるのかもしれない。

愚痴を言っても、始まらない。
誰も幸せにならないことは、しない。
時間と労力と、イコールにならない結果なら、それは失敗。
そう割り切っていても、どうにもならないことがある。

苦しい、いつだって私は苦しい。
ご飯を食べさせてもらえなかった。
凍えながら、手足を温めた。
「Inner Child」は、今でも私を苦しめる。
今でも突発的に、私を殺そうとする。

世の中に勝ち負けが存在するなら、
天秤にのせる質量は、いったい何だろう。
人それぞれだとは思うが、
何を妥協して、何を欲張って
その価値を決めると言うのか。
馬鹿みたいな水掛け論を論じていると思う。夜中には、時々馬鹿を言ってみたくなるものだ。

それぞれの「幸せ」の形がある中で、私は、私の周りの人に、不安や不幸よりも、幸せの天秤を傾けて欲しいと思う。
苦しみを生み出すのは、それだけ感受性が強いからなのだと思う。
感情がなければ、熱は生まれない。
苦しみがなければ、幸せも生まれない。
悲しんでいる人は、誰よりも幸せの喜びをかみ締められる人だ。
私はそう思う。
だからこそ、幸せになってほしい。
そして、そんな幸福を、私に見せて欲しい。
幸せに不慣れな私に、喜びとはどういうものなのか、教えて欲しい。

一緒に幸せになりましょう。
幸せの連鎖反応を。

なんとしてでも。

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